レジデント:ある外科医の研修時代:米崎周太郎著


第2話


 枕元で、俺の腕時計が九時を告げていた。頭は重く、まだ眠っていたかった……あと五分。次に時計を見た時は九時半だった。月曜日は九時半から肺癌の手術があるのだ! 後悔しても遅い。映画に出てくるスーパーマンと同じくらいの速さで着替えを済ませ、また階段をかけ降りる。手術場は別棟の二階にある。

 渡り廊下で別の科の医者や顔見知りの患者と顔を合わせる----何となく気恥ずかしかった。更衣室に転がり込み、またすさまじい速さで手術衣に着替え、帽子とマスクをする。手術場に駆け込む!

 ……まだ手術は始まっていない。手術場の中央に寝ている患者。そのまわりで、緊迫した空気に包まれながらも何となく手持ち無沙汰な医師と看護師。幸い、誰にも遅刻したことを気づかれずにすんだ。

 そして、昨夜と同じ手順で患者は気管内挿管される。気管内挿管は全身麻酔に必要不可欠な手技なのだ。今日その手技を行ったのは俺と同期の佐藤(紀一)だった。

 手術に必要な体位を取り、俺と三期上の坂田、三期下の斉藤の三人は手を洗い始める。ブラシを一度換え、入念に、約五分間。看護師に、無菌の術衣を着せてもらい、再び手術室に入る。患者をイソジンで消毒、圧巾をかける……。

 手術というのは、文章にしてしまうと本当に単純でくだらないことの繰り返しだ。

 時計は十時に近い。その時になって、手術室に山田教授の野郎が現れやがった。言うまでもなく、ここの外科の主任教授である。身長は百八十センチを少し越える。そして、今日の右肺上葉切除術の執刀は言うまでもなくこの山田教授の野郎なんだ。クソ。お相手は坂田先生。俺はただの単なる鈎引き、要するに蚊帳の外である。

 これから約四時間、単調でくだらない、教授の見事なお手並みを拝見ということになる。俺はまだほとんどメスを握っていない。外科医として五年もやっているのに、だ。でも大学というのはそういうところなのだろう。手術がうまいのは教授だけで良いのだ、他の奴はどうでもよい。ボス以外の奴は手術はうまくなる必要がないのだ。



 そして五時間に及ぶ単調でつまらない手術は終わった。

 患者が、ICU (Intensive Care Unit、集中治療室) に入ったのは四時に近かった。----今日、手術を受けたのは俺と坂田先生と斉藤先生の患者だった。坂田先生がメスを握っても良かったと思うのだが、山田教授がやってしまった。

 患者の術後の状態を見たり、指示を出して五時。俺達の患者は五階に全部で十五人いる。今から、その回診をするのだ、気力を振り絞って。



 回診が終わって七時。回診をしたのは俺と斉藤先生だった。坂田先生は先に帰ってしまった。

 今日朝食も昼食も取らなかった事に気づく。



『山崎ですが』

 電話の声はそう言った。

「米崎ですが」

『米崎? 誰?』

「米崎周太郎です。みんなは周太郎、周太郎って呼ぶよ」

『……』

「今忙しいか。良かったら夕食に付き合わないか」

『……私は今年二十五になったの。この前の質問に答えると。二十五歳のレディーを、そんな誘い方でいいのかしら』

「今、北五番町の『フェザー』にいる。君もよく知っているだろう。」

『知らないわ。北四番丁の地下鉄の駅からどう行けばいいのかしら』

 俺は向こうで地図が出版できるほど詳しく教えた。

「今八時半だ。何時に来れる?」

『本当にあなたってぶっきらぼうね』

「九時に、それじゃ」

 俺は『フェザー』でミルクティーを舐めるようにして時間を潰し、山崎奈央が来るのを待って外に出た。

「今日、昼飯を食べなかった。君を食べたいほど腹が減っている」

 本当に、腹が痛いほど空腹だった。

「朝は食べたの?」

「いつも食べないんだ」

 俺達は北七番丁のレストランに入った。俺はビールと食事を、彼女はジン・フィズを頼んだ。

「どうして、電話で俺だとわかった?」

「昨日会った時、ピーンと来たからよ」

「どこが?」

「わからないわ……あなたって少しなまりがあるみたい」

「ああ、生まれが生まれだからね。君はどこで生まれた?」

「あの病院で生まれたのよ。母はずいぶん昔に死んだわ。父はそれからお決まりの飲んだくれ。この街を捨てたくて、都会にも行ったけど合わなかったの。父も五年前肝臓を患って死んだわ。今は本当に一人きり……」

「君みたいに素敵な人が?」

「もう決まった人がある、ように見えるみたい」

 彼女はジン・フィズのおかわりをした。俺はその間、しこたまビールを飲み、たらふく食べた。

「悪いね。死ぬほど腹が減っていたんだ」

「ずいぶん食べるのね」

 テーブルの上に乗っていたフレンチポテトやステーキ、ジャーマン・サラダなどは空になっていた。

「いつからここの看護師を?」

「父が死んでから資格を取ったの。だから三年かしら」

 ビールもなくなったのでスコッチ・オン・ザ・ロックを頼む。

「お酒はだいぶ強いみたいね」

「君と同じくらいにね」

 本当に、これが初めてのデートだろうか。何となく、うまく気が合い過ぎる。そう思いながら、オン・ザ・ロックを二杯飲んだところで切り上げた。

「何処に住んでいるの?」

「病院の近くのアパートよ。友達と二人で借りているの。送ってくださるかしら。」

 そしてタクシーを拾った。俺はタクシーの中で山崎奈央の肩に手を回した。彼女は頭を俺の方に傾けた。何とも言えず良い香りがした。

「また会ってくれますか」

「いいわよ」

 今度会えるのはいつになるだろうか。




あの頃(2)

 文中、看護師という単語が無数に出てくるが、これも原作では全て看護婦であり、そのままにしようか大分迷った。また、手術を終わった後奈央に電話するシーンがあるが、これは彼女の(電子)カルテを覗き見て電話番号を知ったのである。

 また、時代柄携帯電話は一切出てこないが、今後どうするか決めていない。しかし、どこにいてもすぐ連絡が付くというのは便利なようで味気ない物だ。

 最後のプロットで原作では二人はキスをする事になっている。日本ではそういうのは蓮っ葉な女性のする事だから、今のようなプロットになった。



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マグナム 闇に光る

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